2015年10月11日

2015年10月11日

10月5日

 

nonta&canta

 

 

今日は、アウシュヴィッツ収容所(第一収容所)とビルケナウ収容所(第二収容所)に行きました。

 

著書「アンネの日記」でピンとくる方が多いんじゃないかと思います。私は、その本ではじめてこのことについて知りました。そして、中学生の頃にも授業で習いました。その時は、こんなことが世界のどこかで起きていたなんて、、、とどこか遠いことのように感じていました。

 

 

 

 

でも、実際にその場に立って、もう一度歴史に触れてみると考えられないような収容所でした。今でも思い出すだけでゾッとします。目を塞ぎたくもなりました。

 

 

 

アウシュビッツ収容所とは、アドルフ・ヒトラーが建てた人類史上最大級の悲劇が生まれたとされる強制収容所です。そして、そこで収容される人が増え収まりきれなくなったことからビルケナウ収容所が建てられたそう。

 

(降り立ったビルケナウ収容所信じられないほど広大。草原が生い茂り、一見のどかな雰囲気を感じましたが、その第一印象は一瞬で崩れさります。無機質な高圧電流が脱走予防のために張り巡らされています)

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収容された人たちはユダヤ人・ジプシー・政治犯・同性愛者・障がい者。

 

 

 

(この貨車などで運ばれてきた収容される人々。)

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ここで降りるとすぐにドイツの医師らによって選別がはじまります。

『死の選別』です。

「収容理由」「思想」「職能」「人種」「宗教」「性別」「健康状態」などの情報をもとに「労働者」「人体実験の検体」、そして「価値なし」などに分けられました。

 

 

価値なしと判断された多くが「女性、子供、老人」。

(価値なしと判断され、ガス室へ向かう人々)

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その人々は、「シャワーを浴びる」と伝えられすぐにガス室へ。

 

(一気に人を殺すことために作ったガス室。1度に400人もの人が殺されました。)

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ガス室の天井からはチクロンB(安く、大量に人を殺すことができる)という殺虫剤が投げ込まれました。ただ即死できる毒ガスではなく、30分ももがき苦しみながら命を落としたそうです。

 

 

 

 

 

労働者として認められた人は、過酷な生活がはじまります。

 

(入り口の看板には「働けば自由になる」との文字が。)

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そんなのは真実ではなく、実際に自由になった人は一人もいません。

 

穴を掘ってその穴を塞ぐ。意味もない労働。

死ぬための労働だったのです。

 

 

人体実験は麻酔もせずに生きたまま目をくり抜いたり、生殖器やその他臓器にメスを入れたり、手術をしたり。

 

 

なんてことを。。。

 

 

ここでの生活は地獄そのもの。

 

 

 

朝食:約500ccのコーヒーと呼ばれる濁った飲み物(コーヒー豆から抽出されたものではない)。昼食:殆ど具のないスープ。夕食:300gほどの黒パン、3グラムのマーガリンなど。

 

体はやせこけ、みるみる衰弱。

 

中には罰としてこの食事でさえももらえない、「餓死刑」の人もいたそう。

(餓死するその時までただ待つという餓死刑の建物)

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住環境も劣悪。

馬小屋に使用していた場所が収容の場。隙間だらけ。

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冬の寒い時にはマイナス20度下回ることもあった。もちろんなんの設備もない。あるのは薄いブランケットのみ。

 

 

(トイレはこの丸い穴。上下水道も通っていません。)

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トイレに入ることを許されたのは午前・午後の1回のみ。

 

 

 

(この地に来たときにかばんに1つに詰め込んだ大切な全財産。自分の物とわかるように記載されています。)

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あたかも返ってくるかのようだけど、全て取られ、返ってくることはありませんでした。

 

(虐殺された子供達のくつと服。見ていると気持ち悪くなってきました)

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全てを吸い取られていった。

 

 

ここで働く人々は、収容背景などによって仕事や住環境のランクが完全に分かれていました。

 

ユダヤ人がユダヤ人を管理することも。体罰を加えることも。。。

ユダヤ人を焼却する者もユダヤ人。

 

 

それは、上下関係をつくることによって反乱が起きないよう、上手くマインドコントロールされていた。

 

 

(常に監視される人々。有刺鉄線を二重に張り巡らせ、高圧電流が流れている囲い。)

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その中で脱走する者もいたそうです。。逃げれなかった者は即死刑。

そして、脱走者がいると同じ棟から見せしめの数人が選ばれ死刑にされました。

(銃殺の壁の前には花が手向けられています)

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収容所では、多くの人々が命を落としていきました。

すごく残虐。人がすることだとは思えません。けれど、本当にあったこと。

 

 

でも、こんなにも残忍で残虐、無慈悲な行動をとった人たちは全員初めから人の皮を被った鬼だったのでしょうか?彼らが特殊な人間だったのでしょうか?

 

それは真実ではないと思います。戦争という特殊な環境が人間をここまで変えてしまったのだと思います。

 

 

『人間の精神をもおかしくしてしまう戦争。』

 

 

 

この事実をみなさんにもう一度伝えようと、様々な文献を読んで心に残っていること。それは「傍観者であってはいけない」ということ。

 

 

 

 

ヒトラーが選挙で当選した背景には、多くの国民が興味を示さなかったことにあるそうです。賛成でも反対でもない、何も興味もない人が大半だったから。。。

 

 

 

ドキッとしました。あれ?でもこれって、今の私たちにも当てはまりません?

直近の国政選挙の投票率は

私たち20代 32%

合計投票率 52.66%(戦後最低)

だそうです。

 

 

 

 

旅立つ前は日本は平和で戦争になるなんて少しも考えてなかったけれど、、

僕たちは世界を旅して、世界中の戦争の歴史に触れて危機感を感じるようになりました。

 

 

何千年も何万年も人間が生きてきて、科学がどんなに進歩しても、誰もが良くないとわかっていながらも未だに止められないもの、それが戦争。

 

世界の絶妙なバランスでようやく保てているのが平和なんだと。

 

今だって世界を見渡せばそこらじゅうで戦争している。ウクライナ・シリア・イラク・アフガニスタン。ちょっと前ならベトナム戦争・湾岸戦争・もちろんたった数十年前までは日本も戦争をずっとしていました。

平和は簡単に手に入るものじゃない。誤解してはいけないのが、今私たちが生きている時代に日本に戦争がないだけということ。

 

 

戦争はいつだって身近にある。日本はいつだって戦争状態になる可能性があるということ。

歴史が証明しているじゃないか。

 

 

 

 

議会制民主主義を選択している以上、政治家を選挙で選んで彼らに国の未来の方針を託すしかないんです。

彼らが間違った方向に日本を指導していないか、ちゃんと僕たち国民一人一人が監視しなきゃいけないんだと。

 

 

 

政治って興味ないし、選挙ってめんどくさいし、よくわからない。。。だから選挙にも行かない。僕たちも同じでした。

 

でも、それでは間違った指導者が選ばれた時に平和なんて簡単に壊れる。

 

 

選挙にいけば戦争がなくなるわけじゃないけれど、でも、政治に関心を持ち続けなきゃいけない。

 

今の日本が間違ってないかみんなで考えて、日本人が思う正しい日本の未来について一人一人が意思表示していかなきゃいけないんだと思いました。

 

 

忘れてはいけないのが、このアウシュビッツの歴史があったのにもかかわらず、数十年後のカンボジアでは同じように大量虐殺が起きています。歴史は繰り返されるということ。

 

 

世界中の先人達が文字通り涙と、血と、命で築き上げてきた平和をただ享受して、未来の日本の姿には無関心というのは、あまりに無責任だと思うのです。

 

 
 
読んでいただき有難うございます。  
 
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コメント

けんさん2015年10月17日

傍観者であってわならない。響いたよ。 本当にそうだね、なによりnon&canの言葉で書いてるから伝わるよ〜〜 実際に行くと思う事あるよね。ポーランドは行ってないけど、だからありがと。

nontanonta2015年10月20日

けんさん、読んでいただいて有難うございます。響いたなんて、、、嬉しいです。伝わってよかったです。 次回のヨーロッパ旅では、ポーランドもぜひ!

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